【リーダー必読!】スポーツの世界で見た感動のシーンと『恕(思いやり)』の心

【リーダー必読!】スポーツの世界で見た感動のシーンと『恕(思いやり)』の心 リーダーの言葉の力

 

アスリートが聴衆に与える感動は、競技成績だけではなく、時としてその人間性に現れます。

多くのフェアプレイが、競技の勝敗を越えて人の心に響き、記録より記憶に残る選手となるのです。

 

スポーツの本質が「心・技・体」の強さとそのバランスであるなら、心の強さとは、フェアプレイの精神であり、戦う相手をも思いやる心にあるのではないかと思います。

今日は、私がこれまでに見たアスリートたちによる思いやりの心と感動のシーンをご紹介します。

 

ビジネスの世界においても、結果が出ればいいとも限りません。

結果を出すために、リーダーの方たちに求められるのは、このような『恕(思いやり)』の心なのかもしれません。

 

日本の村主章枝選手が見せた『恕(思いやり)』の心と笑顔と敗戦

舞台は2002年のソルトレイク冬季オリンピック。

前年の2001年に起きたアメリカでの同時多発テロの影響で、厳戒態勢が敷かれたなかでの開催。

 

フィギュアスケートのアメリカ代表サーシャ・コーエン選手は、所持品検査のチェックでバッグから出した競技用のタイツをしまい忘れるというミスを犯してしまいました。

競技直前にタイツがないことに気付いた彼女は、予備のタイツを貸してほしいと周囲の選手に懇願しますが、誰も貸してはくれません。

 

厳しい競技スポーツの世界です。しかも国の名誉を背負った各国の代表選手。

自分の名誉と国の名誉と期待するファンの気持ち、そして何よりオリンピックという世界最高峰の舞台です。

他の大会ならいざ知らず、このときは他人に気遣う心の余裕など誰にもなかったのかもしれません。

 

そんななか、コーエン選手に救いの手を差し伸べた選手がたった一人だけいました。

日本代表の村主章枝(すぐりふみえ)選手です。

困り果てているコーエン選手を見ていられなかった彼女は、自分が履いていたタイツを脱いでコーエン選手に差し出したのです。

 

競技の結果はコーエン選手が4位、村主選手は5位でした。

 

もしも、村主選手がコーエン選手にタイプを貸さなかったら、村主選手は4位になれたはず。

そして、コーエン選手は競技を棄権してランク外だったかもしれません。

 

競技終了後に村主選手は清々しい笑顔でした。

 

もしもあのとき、村主選手がコーエン選手にタイツを貸さなかったら…

彼女は一生、悔いを残したかもしれません。

 

しかし、村主選手の競技場の外でのフェアプレイは、多くの人を感動させました。

そして、彼女の笑顔は世界中の多くの人の脳裏に焼き付いたことでしょう。

 

つまり相手を「思いやること」とは、すなわちその人の優しさであり、その人の心の美しさの表れなのです。

 

命を守る人たちの『恕(思いやり)』の心と命がけの訓練

「第8回階段駆け上がりレース」川崎大会というのは、日本警察消防スポーツ連盟主催のイベントでした。

 

「武蔵小杉のなかでもひときわ高い8階建ての高層マンション最上階までの999段を、消防隊の装備20kgを背負って駆け上がるという鉄人レース。

全国から集まった有志の消防士の方々が、気合十分で次々に駆け上がっていく姿に圧倒されました。

 

先日も、東京や広島で高層ビルの火災がありましたが、地震の際もエレベーターはストップし、はしご車ではとても届かない高層階での救助が必要な状況もあります。

ですから消防官の皆さんには、必要機材を背負って階段で駆け上がり、人を助けて無事に降りてくるだけの体力が必要とされる訳です。

なかには初代の隊長さんクラスの方から、女性隊員の方々もいらっしゃいました。

 

マンションの狭い階段を時差出発で、どんどん駆け上がっていくのです。

これは、本当にきついはず。

 

予想通り、降りてこられた方々は皆さん、汗だくですが笑顔なのです。

普段からの訓練の賜物なのでしょう。

 

ここに日本の勇者たちの存在を知り、感動のあまり涙が出そうになりました。

「いざというときには、必ず我々が助けに行く!」とおっしゃっていた東京消防庁の救急隊員の方々の現場への到着時間は、交通事情などの影響で8分台になってしまったそうです。

 

心肺停止が発生したときには、救急車の到着を待っていては、人の命を助けることはできないのが現実なのだそうです。

4分以内、できれば2分以内に救命活動がスタートしたら、命が助かる確率が何倍もアップするとも語られていました。

 

そのことをもっともっと多くの人に知って欲しい。

そしていざという場面に遭遇したら、勇気と「思いやり」の気持ちをもって自分にできる行動を起こして欲しい。

 

そういえば、人命救助の「助」は「恕(じょ)」と読みが同じですね。

やっぱり誰かを助けるには、「思いやり」の心が何よりも大事なようです。

 

有森裕子選手の『恕(思いやり)』の心と世界一美しい花束

1992年のバルセロナ・オリンピックで銀メダル、1996年のアトランタ・オリンピックでは銅メダルを獲得した有森裕子選手。

それまで、マラソンランナーというのは苦痛に顔をゆがめながらゴールするのが当たり前といった印象だったのを、爽やかな笑顔でゴールしたことによって競技のイメージを大きく変えた選手でもありました。

バルセロナでの銀は、1928年アムステルダム・オリンピックの銀メダリスト人見絹枝選手以来8年ぶりのメダル獲得という快挙でしたし、バルセロナ五輪出場の三人目の枠争いでは、有森選手より評価が高かった松野明美選手を覆しての出場でしたから、多くの方は彼女が陸上界のスーパーエリートだと思われていたとしても不思議ではありません。

 

ところが、彼女が陸上競技を始めたのは高校生のときで、体育の教師を目指して進学した日本体育大学でも特に目立った実績はありませんでした。

 

ケガが絶えず、女子の競技人口が少なかったこともあり、トライアスロン転向を考えていた時期もあったそうです。

教育実習のため、ろくに練習ができなかったなかで参加した競技会で自己ベストに近い成績を出したことから、教師への道から進路変更して実業団を目指すことにした彼女は、半ば押しかけのマネージャー兼選手としてリクルートに入社。

小出監督にその熱意だけを認められて、少しずつ才能を開花させ始めます。

 

才能を開花させるというよりも、いつか必ず成功したいという熱意と努力で、レースでの実績を上げていったというのが正しいかもしれません。

もちろん、努力を続けることが才能だとしたら、彼女にはその才能があったのでしょう。

 

しかし、小出監督も証言しているように、とにかく本番に強いタイプで、本番で実力以上のチカラを発揮できる強い精神力を持った選手だったそうですので、トップアスリートとして不可欠なものを潜在的に持っていたと言えるかもしれません。

大学で競技をあきらめなかったこと、社会人でも競技を続けられる環境を選んだこと、そして彼女の可能性を見出し、開花させることができる指導者とめぐり会えたこと…。

 

つまり、彼女は自分自身の決断と行動で人生を切り拓いたのです。

 

アスリートにとって、大舞台での競技結果は、それまでの競技人生の集大成となる訳ですから、何にも代えられないくらい重要なものであることは間違いありません。

応援する私たちにとっても、競技での感動や興奮がありますが、競技の外でもアスリートの純粋な言動は私たちの魂を揺さぶり、国境を越えて感動を与えてくれることがあります。

 

1991年の夏、東京で開催された世界陸上競技選手権大会の女子マラソンで、有森選手はメダルには届かなかったものの4位入賞を果たし、バルセロナ・オリンピック代表の有力候補の一角に食い込みました。

その後、当初出場予定だったバルセロナ・オリンピックの選考会でもある大阪国際女子マラソンと名古屋国際女子マラソンはケガのため欠場。

バルセロナ・オリンピック代表の座は、ただ選考を待つのみという事態でした。

 

その間に、有森選手が出場しなかった大阪国際女子マラソンで好記録を出し、2位となった松野明美選手と比較されることになります。

当時のマスコミは大騒ぎとなり、松野選手が異例の記者会見で「私を選んでください」と公共の電波で発言したことから、世の中は松野選手支持の色が濃くなっていきました。

 

しかし、バルセロナ・オリンピック女子マラソンの三人目の枠は、マラソンの実績と経験を買われて有森選手に決定。

有森選手よりも選考会での記録が良かった松野選手を落選させたことに対する日本陸連の不透明な選考方法に抗議が殺到しました。

 

「行ってみせますバルセロナ、咲かせて見せます金の花」

騒動の渦中、心配しているであろう母親に、有森選手は短いメッセージを送ります。

短い詩のなかに、彼女の当時の心境と強い決意が込められているものでした。

 

バルセロナ・オリンピックでは、本番直前にもいろいろなトラブルが彼女を襲います。

 

ひとつは、現地に入ってから足の甲に痛みが出たこと。

この痛みはシューズのソールを調整し、鍼を打ってもらうことでなんとかおさまりましたが、当日にはコンタクトレンズを片方なくすというアクシデントが発生。

 

結局レンズは見つからず、片方の視界がぼやけたまま走ることになりました。

アクシデントがあると、気が動転して実力が出せなくなりそうなものですが、視界が限定されているおかげで逆に自分の走りに集中することができたのか、レースに夢中だったから気にならなかったのか、レース中、目のことは全く気にならなかったそうです。

 

決してベストとは言い難いコンディションのなか、彼女は一度はトップのエゴロワ選手に追い付き、並走したのですが、競技場近くの最後のスパートで引き離されて、結果的には2位になりました。

笑顔でゴールインした彼女は、トップでゴールインしたエゴロワ選手に抱き付き、彼女の栄光を讃えている姿が清々しく印象的でした。

 

有森選手は両親から3つの花束を受け取って表彰台に向かいます。

 

当時、ソビエトが崩壊しEUN代表として参加したエゴロワ選手に応援は少なく、手ぶらであるのに気付いた有森選手は自分が持っていた3つの花束のうちのひとつを、そっとエゴロワ選手に渡しました。

そのとき、一筋の涙がエゴロワ選手の頬をつたったことが話題になりました。

 

「金メダルこそ逃したが、金メダル以上の意義がある。世界で一番きれいな花だった」

 

翌日の新聞は、有森選手の行動を讃えたのです。

アスリートにとって、目指す大会での結果がすべてかもしれません。

 

しかし、観る者の感動は競技結果がすべてではありません。

ライバルを思いやる美しい心、相手を思いやる優しい心は万国共通であり、スポーツという競技を越えたところでも存在しています。

 

 

「先輩、覚えていらっしゃいますか?」

 

バルセロナのオリンピック村は、高層マンションが立ち並ぶ美しい海辺の街でした。

女子バレーボールチームの何人かの選手たちと早朝ジョギングを終え、コーチの辻合さんと談笑していたそのとき、マラソンの有森選手が私たちのそばを通りかかったのです。

 

有森選手が、私たちを見つけて、さわやかな笑顔でどんどん近づいてきます。

そのとき、すでに一般のおじさんとなってしまった私が、どぎまぎしていたら、「岩崎さん、知り合い?」と辻合コーチ。

「日体大の後輩ですし、白石先輩の治療を受けていることは耳にしているんですけど…。」

と答えたときには、もう有森選手は、目の前に立っていました。

 

「先輩、覚えていらっしゃいますか?」

 

私が言葉に詰まって何も答えられないでいると、「私、先輩の家に行ったことがあるんです」

さかのぼること6年前、確かに私の自宅で大学の後輩を集めて「トレーナーのための早朝勉強会」を週に一度、開いていました。

 

興味があれば誰でもOKの気楽な勉強会でしたが、交通の便が悪い私の自宅で、しかも朝7時からのスタートでしたので本気の人でなければ来られなかったはずです。

ケガがちだった有森選手は、トレーナーになりたい長距離の選手だと自己紹介してくれたので、今思えば、失礼なことですが、

岩崎
それで速いの?

と私は尋ねたらしいのです。

有森選手
岡山では6番以内でした

との彼女の答えに、私は、

岩崎
じゃあ、現役で走りなさい。トレーナーはいつからでもできるけど、後になって、やっぱり走るってのは大変だから

といった主旨のことを話したらしいのです。。。

 

有森選手
あのときの岩崎先輩の言葉がなかったら…。

 

それ以上は、言わないで欲しかった。

そんなことはないからです。

 

その早朝勉強会での出会いから、その日まで、彼女には、彼女の世界があったはずです。

大学時代の苦労も、リクルートに入社するときのエピソードや、その後の小出監督との苦難の道のりも、すべて自分で乗り越えて、スタートラインに辿り着いたのだから。

 

トレーナーという職業柄、選手のために働くのが当たり前ですし、選手の側もそう思っています。

いちいち「感謝の気持ち」を述べなくても、そこには暗黙の了解があります。

 

早朝ランニングの最中、有森選手は立ち止まってそんな挨拶をしなくても良かった。

それでも、私たちは彼女の走る姿に感動し、目撃したことをその日の話題にしたでしょう。

 

しかし、事実はそれをはるかに超越しました。

 

その一瞬の出来事は、彼女の人間性を十分に教えてくれたし、私を虜にするに十分でした。

数日後、快挙を成し遂げたことで、彼女はオリンピック代表選考問題の渦中の人としてではなく、オリンピックのスターとして有名になりました。

 

そして、母国が崩壊して、誰からも声援を受けることのできなかった金メダリスト、ロシアのエゴロワ選手に花束を渡しました。

 

「行ってみせますバルセロナ、咲かせてみせます金の花」と、いつも応援してくれた母に宛てて書いた詩。

金のメダルは取れませんでしたが、約束通りに金以上の価値のある花を咲かせました。

 

明らかに勝利の涙とは違う涙が、エゴロワ選手の頬をつたっていました。

「世界で一番きれいな花だった」と報道されましたが、その記事を読んで納得しました。

 

「先輩、覚えていらっしゃいますか?」は、有森裕子選手の人柄そのものから出てきた言葉だったんだ、と。

そしてまた思うのです。

 

「こういう選手がいる限り、トレーナーは、やめられない」

 

3年後の1995年夏、一枚の葉書が届きました。

ケガで苦しみ、走れなかった長いトンネルから這い出した有森選手は、北海道マラソンでカムバック優勝を果たし、表彰台の彼女の写真が絵葉書になっていました。

そして有森選手は、ついにアトランタ・オリンピックでもメダルを手にしたのです。

 

二大会連続メダル獲得は、日本の女子陸上では歴史に残る快挙です。

 

相手の勝利に貢献する『恕(思いやり)』の心

あなたは自分の勝利を捨ててまで、相手を讃えることができますか?

アメリカの大学女子ソフトボールの大会での出来事。

 

ウエスタン・オレゴン大学対セントラル・ワシントン大学の試合は、両チームとも初めての決勝戦という大事な対戦。

代打に送られたサラ・タコルスキー選手は、目立った実績のない選手でした。

 

最後の記念にという配慮だったのか、本当に代打の切り札だったのか知る由はありませんが、この選手は期待に応えて乾坤一擲、フルスイングしたバットは見事にボールを捉え、外野フェンスを越えていきました。

劇的な、人生で初のホームラン!

 

サラ選手は、歓喜を全身で表現するかのように拳を天に突き上げ、ジャンプしながらベースラン。

しかし、一塁を回るときにベースに頸いて倒れてしまい、苦痛に顔を歪めたまま起き上がれません。

右膝の靭帯断裂という大ケガをしたのです。

 

ランナーコーチャーのチームメイトが近寄ろうとすると、一塁の塁審に止められ「打者走者に触れたらホームランは無効」との通告を受けます。

なす術のないベンチ。

 

そして苦痛に顔を歪めるサラ選手。

 

そのとき、相手チームのホルトマン選手とワラス選手がサラ選手に駆け寄り、塁審に「私たちが援助することはルールには触れませんよね」と確認すると、両脇から彼女を抱きかかえてセカンドベースに向かいます。

サラ選手の左足でベースタッチをさせるとサードへ、そしてホームベースへと送り届けます。

 

この二人の選手が手を貸さなければ、サラ選手のホームランは成立しませんでした。

相手はなす術もなく、ホームランを放棄して勝利は転がり込んできたかもしれません。

 

でもこの二人は、そしてこのチームはそれを選択しませんでした。

潔い敗戦。

 

本当のスポーツマンシップとは何でしょうか?

 

三人がホームベースに辿り着くと、歓声と拍手がわき起こったそうです。

 

それは、劇的なホームランを放ったサラ選手と手助けした相手チームの二人の選手への最大の賛辞であり、最後まで戦い抜いた者同士だけが分かり合える美しい時間だったのかもしれません。

自分たちの一所懸命と相手チームの一所懸命の姿を、目先の勝利のために汚したくなかったのかもしれません。

 

人の美しい心は、その行動に表れます。

それは私欲を凌駕する崇高なものです。

 

それをスポーツではフェアプレイと呼びます。

スポーツの競技に限らず、社会生活すべてにおいてフェアプレイ精神を貫き通せたら、あなたの周りは、間違いなく幸せな環境に代わります。

 

カルロス・ロペス選手とマネージャーの感謝の気持ちと『恕(思いやり)』の心

以前、ご紹介したカルロス・ロペス選手とのエピソード。

このお話には、実は続きがあります。

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1984年8月2日、カルロス・ロペス選手の金メダルの興奮が冷めやらぬまま、閉会式に沸くロサンゼルス・オリンピックのスタジアムを後にした私たちは、大急ぎでサービスステーションに戻りました。

ロペス選手が、立ち寄ると聞いていたからです。

「ロペスさんは、どこにいますか?」と聞くと「マックに行ったよ!」と返答。

 

ダッシュでオリンピック観戦後のお客さんでにぎわう近くのマクドナルドに駆けつけると、その店の片隅で、ロペス選手が奥様とマネージャーの三人で、ひっそりとハンバーガーを食べているではありませんか!

私は、大声で叫びながら、彼らの席に向かいました。

 

「金メダル、おめでとう! 感動をありがとう」

 

ほとんど泣きながら握手をし、ハグをしたものですから、そのときに店内の他のお客議もロペス選手の存在に気付いてしまいました。

 

「あれ、さっき金メダル獲ったマラソンランナーじゃない?」

「そうだ! ポルトガルのカルロス・ロペスだよ!」

一斉にお店にいたお客さんが興奮のるつぼ状態になって、彼の元に押し寄せてきました。

閉会式直後の店内ですから、皆、カメラやサイン帳を持っています。

 

すると、ロペス選手の向かいに座っていたマネージャーが立ち上がり、群衆に向かって語りかけました。

 

A
皆さん、ここに居るのは確かに先ほどマラソンを走ったカルロス・ロペスその人です。

ご声援ありがとうございました。

皆さんのおかげで、念願の金メダルを獲ることができました。

心より感謝申し上げます。

 

そして、彼はやっと今、レースのためにずっと制限していたアメリカの象徴的なグルメ、ビッグマックに辿り着くことができました。

ですから、今一度、彼を見守ってやっていただけませんか。

私たちにほんの数分、世界のマクドナルドを味わう時間をプレゼントして下さいませんか?

 

彼が話し終えると拍手が沸き起こるとともに、お客様は笑顔で席に戻っていったのです。

 

「おめでとう! 素晴らしいレースだったよ」

と温かい声をかけながら席につく、多くの皆さんの優しさにとても感動して涙がこぼれてしまいました。

 

マネージャーのロペス選手への「恕」が、周りのお客様にも伝わった瞬間です。

そして、その思いやりの波紋が、一瞬にして店内に広がり「怨」の連鎖が起きたのです。

 

私は、ポルトガル語ができないので直接お話しをすることができず、マネージャーさんを通じての会話になったのですが、とにかく金メダルに対するお祝いを述べ、どれだけ感動したかを伝え、そして両手に金のラインのシューズを持ってウイニング・ランをして下さって、思わず感極まって号泣したことを伝えていただきました。

 

静かな笑顔で通訳からの説明を聞いていたロペス選手は、少し照れくさそうに笑っていました。

たった今、世界一の証、ゴールドメダルを手にしたばかりの選手が、こんなに謙虚で優しくて、最後には『オブリガード(ポルトガル語でありがとうの意)』と言ってくれるなんて、あり得ません。

 

思わず、『ありがとうを言うのは、こちらのほうです!』と叫んでしまいました。

 

ロペス選手の食事が終わり、店を出て皆で記念写真を撮ったときも、ロペス選手とマネージャーの気配りを感じました。

オリンピック終了後、1年の留学を終えて帰国すると、なんとロペス選手のサイン入りの写真が届いていました。

 

彼の恕に再び涙を流したのは、言うまでもありません。

 

『恕(思いやり)』の心からリーダーシップの本質を考える

以前の記事でリーダーシップに求められるスキルについて考察し、親しみやすさ、頼もしさ、知性的、スマートといったスキルを挙げました。

[clink url=”https://team-miracle.com/leedership_skill/”]

 

リーダーシップと言うと、どうしてもチームの先頭になって声を出して仲間を鼓舞し、奮い立たせるといった積極的なイメージがあります。

 

しかし、その一方で、恕(思いやり)の心をもってチームで接することで、ここで紹介した素晴らしいアスリートたちのように周囲の人たちの心をつかんで離さないのではないでしょうか?

自分の性格とは裏腹に積極的に鼓舞したり、仲間の顔色をうかがいながらコミュニケーションをとる必要もないのではないでしょうか?

 

書籍や過去の研究などでリーダーシップについて学習することも大切ですが、それよりも重要なのは『人として』チームをどう支えたいか、を念頭に置くことで、強いチームと絆が生まれることをスポーツやこれらのアスリートたちが教えてくれているような気がします。

 

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