「ありがとう」の語源・由来を知って生きている今に感謝する

「ありがとう」の語源・由来を知って生きている今に感謝する リーダーの言葉の力

「ありがとう」という言葉は、日本語で一番美しい言葉だと言われているそうです。

感謝の気持ちを表す言葉は、世界中のすべての言語が美しいとも言えると思います。

 

ところで皆さんは、ありがとうの語源をご存知ですか?

 

「ありがとう」は元々「有り難う」と表記し、「有り難い」。

つまり、「あり得ない」、「そのことが起こる確率はものすごく低い」という意味なのです。

 

「有り難う」、「有り難い」の語源は仏教用語で、『雑阿含経」という経典に書かれている「盲亀浮木の譬え」(一眼の亀のお話)に由来しているのだそうです。

 

ありがとうの語源・由来のエピソード

あるときのお釈迦様と弟子の阿難の会話です。

お釈迦様
あなたは人間に生まれたことを、どう思っていますか?
阿難
はい、とても喜んでおります
お釈迦様
では、どのくらい喜んでいるのですか?

と、さらに突っ込んだ質問をされて、阿難は答えに困ってしまいました。

 

するとお釈迦様は、阿難にこんなたとえ話をしたのです。

 

深い深い海の底に一匹の亀が住んでいました。

この亀の寿命は、「無量」と言われていましたから、半永久とも無限とも、永遠とも言える長さの寿命です。

この亀には、目がひとつしかありません。

しかも手足もなく不自由なうえに、お腹は焼けるように熱く、背中は氷のように冷たく、二重の苦しみを抱えていました。

 

この一眼の亀の願いはたったひとつだけ。

熱いお腹を冷やし、冷たい背中を暖めることです。

 

お腹を冷やし、背中を暖める方法はたったひとつしかありません。

赤栴檀(しゃくせんだん)というとても珍しい木があり、しかも亀のお腹を乗せるのにちょうど良い大きさの穴が空いていて、その穴にお腹を入れて冷やし、背中を太陽の光に当てて暖める…これしか方法はないのです。

 

ところが、この一眼の亀は、千年に一度しか海の上に浮かび上がることができません。

広い海に浮かび上がっても、浮き木にめぐり合うことはめったにはありません。

 

たとえ浮き木にめぐり合えたとしても、それが赤桁檀の木であることは、さらにまた稀なことですし、運良く赤梅檀の浮き木にめぐり合えたとしても、亀のお腹がちょうどよく入る穴が空いていることはさらにまた稀なことです。

穴は大き過ぎても、小さ過ぎてもいけません。ぴったり合うサイズでなければ、波に揺られて落とされてしまうからです。

 

ちょうど良い大きさの穴があいた赤梅檀の浮き木にめぐり合えたとしても、この亀には目がひとつしかないので、遠近感の調整が難しく、近づいてもなかなかうまく乗ることができません。

ましてや手足がないのですから、赤栴檀(しゃくせんだん)の浮き木に乗ることなど至難の業なのです。

 

お釈迦様
阿難よ、この亀は木に乗ることができると思いますか?
阿難
お釈迦様、多分あり得ないことだと思います。
お釈迦様
絶対にないと言い切れますか?
阿難
この亀の生命が無限なのですから、長い間にはひょっとしたら偶然が重なって乗れるかもしれませんが、ないと言い切っても良いくらいだと思います。

お釈迦様
阿難よ、私たちが人間として生まれてくることは、一眼の亀が赤栴檀(しゃくせんだん)の浮き木にめぐり合い、その浮き木に乗れることより難しいことなんです。『有り難い」ことなのですよ。

 

人間として生まれてくること自体が「有り難い」ことなのですから、自分の身の回りに起こるできごとは「有り難い」ことばかりなのですね。

だから「ありがとう」を大切に感じている人ほど幸せな人生を歩めるのでしょう。

 

どうしても伝えたかった「ありがとう」

東日本大震災で、世界最多となる200億円を超える義援金と400トンを超える援助物資を送ってくれたのが、中華民国(以下、「台湾」)だということをご存知でしたか?

世界のどこよりも早く救助隊の派遣を表明してくれたのも、台湾だったそうです。

 

しかし、残念ながら台湾で、「日本はこの台湾の愛に十分に応えていないのではないだろうか」との報道がありました。

震災後、当時の日本政府は、義援金を寄せてくれた世界中の国の主要な新聞に感謝の広告を出したのですが、台湾には、中国への配慮からか広告掲載を見送ったのだそうです。

 

台湾では「最も好きな国」として日本を挙げる人が41%にのぼり、同率2位の中国とアメリカの8%を大きく引き離しているそうです。

震災が起こった直後、台湾の馬英九総統は「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り、要請があればいつでも援助隊を出動可能な状態に待機させたそうです。

総統は、日本が1999年9月の台湾中部大地震や2009年8月の南部台風災害で台湾を支援したことに触れ、「我々も同様に積極支援する」と熱く語ったそうです。

 

親日家として知られる 李登輝元総統は、日本語で「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」、「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」と励ましのメッセージを寄せています。

台湾は震災当日に援助隊派遣を表明していましたが、日本政府の待機要請により、各国の救助隊が日本入りするなか、丸二日間の待機を余儀なくされました。

 

そんな台湾に、台湾の人々に対して、どうして日本は「ありがとう」を言えなかったのでしょうか?

そのことを知った一人の日本人が動き始めました。

 

一個人の呼びかけをキッカケに募金を集め、国の代わりに決して安くない新聞広告を出しました。

「ありがとう台湾、謝謝台湾!」と。

 

驚いたことに、募金は目標額を超えても集まり続け、日本赤十字社を通して東日本の復興支援のための義援金として寄付されたのだそうです。

始まりは、たった一人のツイッターでの呟きでした。

 

感謝の心が感謝を生んだ伝説の名勝負

一方、2013年3月8日、球史に残る名ゲームが東京ドームで行われました。

WBCの日本対台湾戦です。

9回2アウトまでビハインドだった侍ジャパンが、底力を見せ同点に追い付き、延長戦にもつれ込んだ末の激闘を制しての大逆転劇に、多くの野球ファンが感動しました。

 

そのとき、大喜びのハイタッチをしている日本チームの向こう側で、試合が終わったマウンドに向かう台湾選手たちの姿がありました。

台湾の選手たちはマウンドで円陣になり、全方向に向けて、スタンドのファンに深々とお辞儀をしました。

 

その姿を見た日本人は、「負けたのになんて礼儀正しいんだろう!」「なんて素敵なスポーツマン精神だろう!」などと思ったそうです。

実は、このお辞儀には裏話があったのです。

 

報道によると、日本のあるファンがツイッター上で「この試合は台湾でもたくさんの人々が観るはず。あの震災のときのお礼の気持ちを伝える絶好のチャンス!」との書き込みをし、「感謝の気持ちを伝える横断幕を掲げよう」と呼びかけたのだそうです。

このメッセージは、多くの賛同を得て瞬く間に全国に広がったばかりか、中国語にも翻訳されて台湾でも広がり、多くの感動を得ました。

 

そして、試合の当日、東京ドームの観客席にはたくさんの感謝の横断幕やプラカードが掲げられていたのです。

完全なアウェーだと思っていた台湾の選手たちは、それに気付き驚きました。

 

たくさんの日本人からの温かい応援、感謝の横断幕、プラカード、台湾でもその模様が報道され、ツイッターやフェイスブックでもコメントが書き続けられたそうです。

「ありがとう台湾、謝謝台湾!」

 

そして選手たちも動きました。

試合終了後、選手全員がマウンドに歩み寄り円陣となり、全方向に向かってお辞儀をしました。

 

台湾では1300万の人が、この姿を観ていました。

 

国を越えたありがとうのキャッチボール。

これぞ書き残すべき名勝負の舞台裏ではないでしょうか。

 

国が言えなかった伝えるべき「ありがとう」が一人の市民によって発信され、民衆を動かし、その想いは波のように広がり、この「伝説の名勝負」となりました。

そしてその一方で、多くの人の共感を呼び、政府が行うべき友好国との国際交流規模の波動を起こしたのです。

 

それはまさに「有り難い」できごとです。

 

でも、その背景には台湾の「有り難い」支援があったから。

さらにさかのぼると、日本がかつて台湾が困っているときに支援したことへの台湾の方々からの感謝の表現だったわけです。

 

「ありがとう」の連鎖は、人を幸せにします。

一人の人の「ありがとう」が生む幸せが連鎖して、多くの人が幸せになれるのです。

 

多くの人々の「ありがとう」の連鎖が、平和な世界を築くのです。

今日も一日、身の回りに起こるすべてのことに感謝し、関わるすべての人に感謝し、心から「有り難う」を積み重ねることができるよう、一瞬一瞬を大切に「有り難い一日」を送りましょう。

 

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