片腕の看護師、スイマー、バイオリニスト 伊藤真波さんの母への想い

看護師、スイマー、バイオリニスト 伊藤真波さんの母への想い リーダーの言葉の力

 

先日、岡山のある治療院の主催の講演会に招聘されました。

 

大きなイベントで、
自分以外にもパラリンピック・水泳日本代表の伊藤真波(旧姓:野村)選手や、
歌手の松本隆博さん(ダウンタウンの松本人志さんの実兄)が呼ばれていました。

 

実は、伊藤真波さんには、それ以前にもお会いしたことがあり、
北京パラリンピックの水泳で4位に入賞されている
アスリートでいらっしゃることは認識していました。

 

更に彼女は、
日本に前例がない片腕の看護師さんとしても有名で、

 

専門学校在籍中に事故で右腕を失ったにもかかわらず、
必死の努力と周りの理解によって資格を取得し、
受け入れて下さる病院がみつかって現場で活躍されていることも伝え聞いていました。

 

そんな真波さんの講演を聴く機会に恵まれたのです。

彼女の体験談には、常にお母さんの存在がありました。

 

お母さんから、進められたバイオリンや水泳は、
本当はあまり気が進んでいなかったそうです。

 

そしてお母さんに大反対されていたバイクの運転は大好きで、
なんとお父さんを味方につけて中型の免許を取得し400ccのバイクに乗っていたそうです。

 

そんなある日、雨の降る中、看護学校にバイクで向かっている途中で事故に巻き込まれました。

 

彼女の中型バイクは、不必要に幅寄せしてきた
大型トラックの後輪に接触、その後の意識はなかったそうです。

 

彼女は一時、道路上で意識が戻った時に自分のカバンから携帯を取り出し、
お母さんに電話し、「ごめんね!事故しちゃった!」と伝えようとしたそうです。

 

しかし、それは思ったようには上手くいきませんでした。

なぜなら、骨と皮だけでつながった右腕と、激しい顔面の損傷でちゃんと喋れなかったからです。

 

何度かの手術、特に右腕の洗浄・消毒は、
病院に響き渡る程の叫び声をあげるほどの痛みに耐える試練だったそうです。

 

看護師を夢見ていた彼女は、右腕が再生できない、
いや生きていくためには切断せざるを得ない状況になっている事実を

中々受け入れられなかったそうです。

 

「腐っても右腕は切らない」

彼女の叫びでした。

 

「最後は自分で決めなさい」と躾けをしていたお母さんから、

「腕を切るなら自分の口で言いなさい。限界なの気づいているでしょ。
動かない腕切って、看護師になるんでしょ」

と毅然とした態度で言われたそうです。

 

「もう切らないと間に合わない」

状況を知ったお母さまの愛娘への覚悟の一言は、どんな想いだったのでしょう。

 

「無理に看護師にもならなくてもいいし、お嫁にもいかなくてもいい、一生面倒見る」

と言われた真波ちゃんも覚悟を決めたそうです。

 

「腕を切ってください」と自分で言ったときの彼女の想いは、
とても言葉では言い表せるものではありません。

 

そして、大事な右腕を失った彼女は逆に決意したのです。

 

絶対に看護師になる。

 

更に彼女は、かつて本気では取り組んでなかったかも知れない水泳を再開しました。

片腕のスイマーになり、2度のパラリンピックに出場。

 

その後なんと趣味としてバイオリンも再開します。

特殊な義手を作ってもらい、肩甲骨の動きで不可能を可能にしたのです。

 

 

彼女の講演には、

「支えてくれる人がいること」

「負けを知ること」

「泣くことも大事」などたくさんのメッセージが含まれていますが、

 

一番印象に残ったのは、「母への想い」でした。

 

「お母さん、どんなに辛くても厳しくても私は大丈夫です。」

 

そんな想いを母に伝えるために看護師としても、
スイマーとしても、バイオリニストとしても頑張っているんですね。

 

母への想いが、前例がない不可能を可能にしているんですね!

 

彼女のいる病院の患者さんは、こう言います。

「真波ちゃんに元気をもらいにここに来た!」

 

信じられない修羅場を生き抜いた彼女は、

今や存在そのものが「癒し」になっているようです。

 

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