『無理×アイデア=可能』パラ五輪上原大裕選手の偉大なチャレンジ精神

『無理×アイデア=可能』パラ五輪上原大裕選手の偉大なチャレンジ精神 リーダーの言葉の力

 

女子団体パシュートの一糸乱れぬ素晴らしい滑りによる初の金メダルや、羽生結弦選手のフィギュアスケート2連覇をはじめ、多くの日本人選手の活躍にわいた平昌五輪が終わって間もない頃、上原大裕選手の講演を拝聴する機会がありました。

 

先天性の障がいで立てない身体だった上原大裕選手は、19歳でパラスポーツにであい、自分にもできることがあることに感動。

パラアイスホッケーの道に進み、06年トリノ五輪ではチーム最多ゴールを挙げ、10年バンクーバー五輪では銀メダル獲得に大きく貢献されました。

 

36歳の現在も現役を続け、3月に開催された平昌大会にも出場されました。

そんな日本を代表するパラスポーツ選手の上原大裕選手のご講演には、笑いあり、涙ありで、多くの感動を頂きました。

 

『ごめんね』から『ありがとう』へ

伺っていて、最初に感涙したのは、お母さんの話。

先天性の障がいのある子供をお持ちのお母さんは、子供に対して「こんな風に生んでしまってごめんね」という感情を持たれている方が多いそうです。

 

口癖のように「ごめんね」「ごめんね」をおっしゃっていた。

 

ところが、その子ができることを見つけ、パラリンピックで活躍することによって「ごめんね」が「誇らしい」に変わる瞬間がある。

そこから双方向の「ありがとう」が始まるそうです。

 

2010年バンクーバー大会準決勝、当時の世界チャンピオン、カナダとの対戦で上原大裕選手の決勝点により、歴史的な勝利をあげたときも、観客席にいたお母さまが誰よりも泣いていたそうです。

そんな上原選手にとって、障がいは個性ではなくて、事実なんだそうです。

 

障がいという『個性』ではなく『事実』と向き合う

生まれつき歩けなかった上原選手の少年時代、もちろん小学校にも中学校にもエレベーターはありませんでした。

それで学校側としては、各階に車いすを用意してくれた。

 

そして大裕少年は階段を這って上り、その車いすによじ登って移動したそうです。

「足が動かない、だから階段を登れない、これは個性とは表現しないでしょ。事実なんです。」とおっしゃる上原選手の言葉にぐっときました。

 

「そうするとね、そのうち友達が、僕を抱えて階段を登ってくれるようになるんです。」と周りの変化も教えて下さいました。

 

立って階段を登れない友達がいること受け入れ、自分にできることはないかと助け始めたクラスメート。

障がいを持つ友達がいるという事実を承認した時に、自然に行動変容が起きるようです。

 

そこに障がい者がいることによって、「何かに気づき、考え、行動を起こす」という、人として大事なことを、周りの健常者の方が学べることもあるんだと、お話を伺っていて深く、深く感動しました。

 

無理や不可能に挑戦するチャンス

「ところで皆さんは、ストローやライターが発明された理由を知っていますか?」と参加者に質問されました。

実は、障がい者のために発明されたものなのだそうです。

 

コップを持たなくても水分補給ができる方法はないか?

コップを傾けなくても、片手で水分を補給できる方法はないかと、障がいを持った人が水を飲むためにストローが発明されたそうです。

 

不便は発明の母といわれますが、まさに誰かの「困った」を解消するための商品でしたが、それが世間一般にも広まったのだそうです。

ライターも、マッチで火をつけるためには両手が必要ですが、片手でもつけられるようにアイディアを絞ってできた商品です。

 

それまで「自分たちにはできない」すなわち「無理」といっていたことを、可能にするためのアイディアをだすことが、大事なのだそうです。

 

「君にはスポーツは無理」といわれた方が、オリンピック選手と同じ会場で戦っている事実。

また健常者だった方が、大きな事故や病気で体の一部やどこかの機能を失っても、できることをみつけて頑張っている現実など、多くの選手たちの例をあげながら、笑顔で語る上原選手の大ファンになりました。

 

「みんなに無理だと言われても、そこにアイディアを掛け合わせると「可能」になるんです。だから僕は「無理×アイディア=可能」という方程式を作りました。」

お話を伺っていたほとんど全ての参加者がメモした方程式です。

 

無理だといって諦めるのではない、無理だからこそアイディアを出して可能にするチャンスなのだと教えて頂きました。

 

ところで、ここまで障がいを「障がい」と書いてきました。

 

実は、この表記についても上原選手は意見を持っています。

「害」という漢字を使うことに配慮しての「障がい」だったのでしょうが、読み上げソフトを利用していた視覚障がいのある方々には、ありがた迷惑だったそうです。

何故なら「障がい」とひらがなを入れると、ほとんどのソフトが「さわりがい」と読むからだそうです。

 

ましてや「障碍」と書くと読めない人もいる。

気遣いし過ぎてかえって迷惑になっていることもあるんだそうです。

 

常に挑戦者たれ

2018年3月9日、平昌・パラリンピックが華々しく開幕しました。

東京五輪を意識してか、これまでパラスポーツをあまり取り上げてこなかったメディアは一斉に報道を開始しました。

 

上原選手が出場しているパラアイスホッケーには、大学の後輩、堀江航選手も出場、それもあって3月10日の韓国戦から連日、観戦しました。

 

開幕から日を追うごとに日本人のメダル獲得者が、報道され、インタビューされ、各メディアに取り上げられて多くの国民が感動の渦に巻き込まれました。

一人で金銀銅合わせて5個のメダルを獲得した村岡桃佳選手の活躍が注目される中、パラアイスホッケーは一勝することもできず8位でした。

 

しかし、メチャメチャ感動しました。

頑張っている姿に感動しました。

 

知り合いが出場しているからだけではないと思います。

一所懸命、全力を尽くして戦っている姿に感動したのです。

 

圧倒的に体の大きな外国人選手に果敢に立ち向かっていく日本人選手の大健闘に鳥肌が立ち、涙が溢れるほど感動しました。

 

「無理だって、誰が言った!戦い続けている限り、俺たちは前に進んでいるんだ!」と、行動で示してくれているような気がしました。

「感動を与えることができるのは、勝者だけではない、挑戦者が人に勇気と感動を与えるのだ!」

 

そんなメッセージを受け取りました。

 

現在、上原大裕選手が、代表を務めるNPO法人「D―SHiPS32」では「誰もが夢を持てる社会づくり」を目指しているそうです。

 

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